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音楽史を勉強しよう!その58

先日の解答。

 

問53:シューマンはピアノをフリードリヒ・ヴィークのもとで学びました。
 このヴィーク氏とは・・?
           A: シューマンの父親の親友
           B: シューマンの妻の父親
           C: シューマンの母のピアノの先生

 

               答 B:シューマンの妻の父親

ヴィークは娘クララとシューマンの結婚には大反対でした。
二人の関係を引き裂こうと画策するヴィークに対してシューマンは訴訟を起こし、
裁判で結婚にこぎつけました。
凄い大恋愛、素晴らしい名曲も生まれるわけですね♡♡♡

 

♪せっかくなので、クララ・シューマンについて少しだけ。

 

 ロベルト・シューマンの師、ヴィークの娘クララは僅か9歳で
コンサートピアニストとしてデビュー、12歳でゲーテの御前で、
18歳でウィーン皇帝の御前で演奏しました。
職業的な女性ピアニストとしては歴史上最初の人と言えます。
ピアニストとしてだけでなく、作曲も手掛けました。
21歳でロベルト・シューマンと結婚、8人の子供たちをもうけました。
病気がちな夫を経済的にも支えるため、結婚後も演奏活動を続け
、見事に家庭と両立させました。

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コメント: 2
  • #1

    神崎茉莉子 (月曜日, 07 11月 2016 14:27)

    久しぶりにコメントさせて頂きます。
    この音楽史クイズがとても高尚で、そして面白いので、毎回読むのが楽しみなのですが、実は前々から生活面のブログも興味があったので、この度すべてのブログを初めから全部読ませて頂きました。
    そして、驚きました!
    Osumi先生は、私の昔のピアノの先生と共通点があるのです。
    私の先生も、ご主人様の仕事の転勤で、ヨーロッパ駐在を長くされました。
    そもそも私がなぜ中3の時にピアノをやめなければならなかったのか?
    どうしようもない事情でと、以前書かせて頂きましたが、その事情とは、先生がお子様とフランスに行ってしまわれたからです。
    当初3年と言われたので、私は待ちました。
    しかしそれが5年6年となり、帰国されてまたヨーロッパ、ドイツにも2.3年行かれたようで、私は再びレッスンに通う機会を失ってしまいました。
    Osumi先生がドイツへ行かれるまで教えていらっしゃった生徒さん達は、その時どうされましたか?
    とても他人事とは思えないのです。

  • #2

    Osumi (土曜日, 12 11月 2016 15:35)

    私は2度、教室を中断せざるを得なくなりました。2度とも主人の転勤ですが。
    結婚後もしばらくは実家に帰って教室を続けていたのですが、転勤先がヨーロッパという事で、迷うことなく同伴しました。その時の生徒さんは、自力で(お友達が習ってる先生など)教室を見つけた人以外は、当時一緒に発表会をしてた先生を紹介したり、かなりいい線をいってる子は私の師匠のところに連れて行ったり・・。何年の駐在になるかわからなかったので(当初4年と聞いていましたが、結局7年でした。)生徒さん達に「帰るまで待ってて!」なんて言えるわけもなく・・。
    帰国してからの教室はいろいろ考えることもあり「大人のためのピアノ教室」に衣替えしたので、2度目の渡欧の前は大人の生徒さん達は、それぞれの判断にお任せしました。
    皆さんには、ご迷惑をかけて申し訳なかった、という思いがあります。

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