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日本における西洋音楽の始まり⑤

小倉末子

 久野久と並んで名前が上がりますが、知名度としては久野久ほどではないのは、録音記録がないことと、太平洋戦争末期の動乱にこの世を去っているからでしょう。

久野久が「苦労人」なのに対して、小倉末子は「エリート」と言える経歴の持ち主です。

小倉末子は1891(明治24)、神戸の裕福な貿易商の家庭に生まれ、ドイツ人の義理の姉(兄の妻)に幼少期からピアノの手ほどきを受けました。久野久と違って西洋文化を先取りしていました。洋装で通学し、また余談ですが日本初の「婦人ゴルファー」だったそうです。

神戸女学院を卒業後、東京音楽大学に進学。半年でヨーロッパさらにはアメリカへ留学します。

日本人で最初にカーネギーホールで演奏会を開く、という功績を残しています。その後、

アメリカでピアノ指導者としての経歴も残しています。

帰国後、20代の若さで東京音楽大学の教授に就任する、というエリート中のエリートですね。苦労人の久野久に比べると華やかな人生を送った小倉末子でしたが、戦時体制下、無給講師となり、心労はたえなかったようです。いずれにしても、小倉末子と久野久から当時のピアノ界の人気を二分していた事に間違いはありません。

 

 

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