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日本における西洋音楽の始まり②

日本ではどのようにピアノが広まっていったのでしょうか?

日本におけるピアノ教育、ピアニストについて紐解いていこうと思います。

 

音楽取調掛

鎖国の世が終わり、開国に伴って最初に日本に入ってきた西洋音楽は軍楽隊による吹奏楽であったことは、前にも書きました。

さて、明治新政府は明治5(1872)に学制を発表しました。

学校教育の調査、研究のため多くの人がアメリカに留学し、明治12(1879)には音楽教育の研究のため『音楽取調掛』が創立されます。これは現在の東京芸術大学音楽学部の前身です。そして、ボストンから音楽教育家メーソンを招いて西洋音楽の日本への導入が本格的に始まります。

日本音楽の教育には「箏」が、西洋音楽の教育には「オルガン」が用いられました。

それまでの日本音楽には、いわゆる「楽譜」はありませんでしたが、それらを全て「五線譜」に採譜されるようになりました。

ピアノの履修は1年次にはバイエル、2年次からはハノンや、クーラウ、クレメンティなどのソナチネがあったようです。

1887年には東京音楽学校と改名し、本科と師範科に分かれました。

師範科は小学校音楽教員を養成する科で、ピアノは唱歌の伴奏として必要でした。

本科入学のためのピアノの試験はソナチネアルバム第1巻からソナチネまたは簡単なソナタが、師範科ではバイエルが課題でした。

 

最初に取り入れられたバイエルがその後、根強く日本のピアノ教育に支持され続けたのですね。

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