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日本における西洋音楽の始まり③

幸田延

 1876(明治3)1946(昭和21)

 日本人初の音楽留学を果たした人です。

 兄は小説家の「幸田露伴」、妹はバイオリニストの「安藤幸」です。

 幼少の頃、母親から長唄や箏を習っていましたが、当時の音楽取調掛に教えに来ていたアメリカ人のメーソンの目に留まり、音楽への道を勧められます。

 1882年に音楽取調掛に入学後、19歳でアメリカのボストンへ留学し、バイオリン、ピアノ,和声学を学びました。その後ウィーンへ渡り、ウィーン楽友協会音楽院でさらに学びました。成績はかなり優秀だったようです。

 25歳で帰国した延は、東京音楽学校の助教授を経て、教授となりました。この時代に高収入で活躍する女性音楽家への批判や妬みがないはずはありません。39歳になった延は

辞職願を提出して、再びヨーロッパに向かいました。40歳で帰国した延はその後、大正天皇即位四季のための「大礼奉祝曲」を作曲したり、「洋洋楽堂」という音楽堂を建てて

活動しましたが、時代は第2次世界大戦に入り、1946年、76歳で生涯を閉じました。

 

 教え子には、瀧廉太郎、三浦環、山田耕筰などが名を連ねます。

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