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日本における西洋音楽の始まり④

久野久◆

 日本最初のピアニスト、と言われています。

1886(明治19)、滋賀県大津市に生まれました。

家庭は経済的には裕福でしたが、相当な高利貸し、と人々の反感をかっており、さらに石段からの落下が原因で歩行が不自由になってしまいました。そのことが原因でいじめられるようになります。さらに両親が早くに他界してしまい、叔父のもとに引き取られます。

叔父は長唄や箏、三味線を久に習わせました。そこで音楽の才能を発揮した久を見て、叔父は久を東京の音楽取調掛に進学させ、幸田延の目に留まります。

 

久の演奏は凄かったようです。

久は髪を振り乱し、汗を吹き飛ばし、指先が割れて血がほとばしってもベートーヴェンを

弾き続けたとか・・・。まさに「鍵盤を叩く」奏法だったようです。

日本の期待を背負って異国の地ウィーンで勉強を続けましたが、ヨーロッパの生活習慣に馴染まず、足の不自由を隠すためか、和装で演奏をしていたようです。また演奏も受け入れられず、基本からやり直すよう指導され、遂にはホテルの屋上からの投身自殺で世を去りました。

中村紘子さんの著書「ピアニストという蛮族がいる」に、久野久について詳しく書かれているのを読んだことがあるのですが、この時代における日本でのピアノ教育はまだまだ始まったばかりで間違いだらけであったことがよくわかります。

 

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